自分が極度の恥ずかしがり屋だから相手の目を見られないのだと思っていましたが、実は発達障害の特徴でもあったんですね。
(全員そうだというわけではありません)
これより小さい頃はどうだったんだろう。覚えていません。
怒られてる時に「目を見ろ」とさらに怒られて、「教わってないからできないのが当たり前なのにいきなり怒られた」と納得できなかったのを覚えています。
「どうしてみんなは相手の目を見れば気持ちが分かると思い込んでるんだろう」と不思議に思っていました。「みんなは目からも情報を得ているんだ、自分だけができていないんだ」という考えには至りませんでした。
4コマ目のブリ子ちゃんと話す時は本当に大変でした。目をそらしてもそらしても追いかけて合わせてくるのです。悪気はなさそうだったんだけど、なんなんだろう。これだけが理由ではありませんが、耐えられずに仕事を辞めてしまいました。
発達障害者が目を見て話せない理由
発達障害の人が相手の目を見ない理由は大まかに2つあるそうです。
- 見ること、見られることに対して「ストレス」「嫌悪感」がある。
- 目を合わせることに重要性を感じない(社会性が希薄)。
大人になると「人と話すときは目を合わせるべきだ」という知識が付くので気付いたら合わせようとはしますが、やっぱり苦痛です。
定型発達者は特に教わらなくても自分で気付いて学習していけるんですよね。すごいです。
私の場合
私は相手の目を見ても何も読み取れません。
だから、相手が私の目から「何を」「どの程度」読み取っているのか見当もつきません。
そこに恐怖を感じます。
心の奥底まで見透かされているのかも。
私の見られたくないところまで見られているのかも。
心理的に分析されて値踏みされているかも。
まるで神と対峙しているかのように恐ろしいです。
目力からは得体の知れない「圧」を感じます。
私が自分の正体を隠して人間に化けているから恐怖を感じるのかもしれません。
Radwinpsの「棒人間」いいですよね。。
何も読み取れないと書きましたが、本当はたまに読み取れることがあります。
私があまりにもぽけーっとしているため、相手が油断して露骨に態度や表情に出すことがあるのです。
呆れた顔やバカにした顔、上から目線を隠さない顔。。見たくありません。
「見られたくない」だけではなく、相手のマイナスの感情を「見たくない」もあるかもしれません。
また、こちらが目を見れない人種だと分かると、わざとじっと見てきて威圧したり反応を見て楽しんだりする人がいます。まさかわざとじゃないだろうと好意的に思うようにしていましたが、年をとって分かりました。わざとやってる人は確実にいます!
見ることで聴覚に集中できなくなりストレスを感じるというのもあります。
聞くことや考えることに集中するために、視覚をシャットダウンしたくなります。
音楽を聴くときも、目を閉じたほうが何倍も感じます。
ほんとはライブでも目を閉じたいです。
ワーキングメモリが少ないので、あっちもこっちも働かせることができないということなのかなと思います。
自分と似たような人の目はなぜか見ることができます。相手がこちらを見てこないからです。私は「何も読み取れないけど見ることはできる」が、「見られると恐怖を感じる」ようです。
同病の人に威圧感を与えていたら申し訳ないな。
メラビアンの法則(言葉は7%)
人が相手とコミュニケーションをとった時に、何からどれだけの情報を受け取れるかの割合です。
- 言葉から(話の内容)=7%
- 聴覚から(口調、速さ、大きさ)=38%
- 見た目から(表情、しぐさ、視線)=55%
私の場合、最大でも 言葉+聴覚の45% しか理解できていないようです。
また、口調がいつもと違う、喋り方がいつもより速い、など聴覚から相手の気持ちを推測するのも苦手なので、実際は「言葉から」の 7% しか読み取れていないかもしれません。
7%しか読み取れていないくせに、
「この人は論理的に話さないからイライラする」とか、
「主語や目的語をはっきり言ってください」とか、
「あれとかそれとか言われても分かりません」とか、まるで相手の話し方が悪いかのように思っていました。(さすがに口に出したりはしませんが。)
視線恐怖症を克服するには
友人関係や面接などを乗り切るためのテクニックは、ちまたに溢れています。
- 相手のほうに体を向ける(目をそらしても体をそらさなければOK)
- 相手の眉間を見る
- 相手の鼻を見る
- メガネを外して視野をぼやかす
- ずっと見てる必要はない(30%見ればOK)
- 大事な時、一瞬見る
- 目線を横にそらすとよそ見してると思われるので、上か下にそらす
これでだいたいごまかせます。
しかし、本当の意味で克服したことにはなりません。
だって、演技に精一杯で人の話を聞けなくなるんです。
恐怖感がなくなるわけでもないですし。
諦める(相手は魔法使いだ)
目を合わせられないのが発達障害の特徴なのだとしたら、治せるものではありません。
- 特徴・・・脳の機能障害からくる特徴。治せない。知識として学習することはできる。
- 症状・・・恐怖感から生まれる症状。治せる。治療の対象。
生まれつき足のない人は、どう頑張っても後から生えてくることはありません。治せないものは治せません。足が生えてくることを祈るよりも、自分にあった義肢や車椅子を探すほうが意味があると誰もが思うでしょう。
自分の特性を無視したやり方は、自分を否定することになります。障害があるのを前提に、そのうえでどう工夫するか、どうケアしていくかを考えましょう。
みんなと同じようになりたい=自分を否定することになるから苦しい
みんなと同じにはなれないから自分なりに工夫する=自分も他人も尊重できる
現在の研究はまだまだ発展途上です。治せるものなのか、治せないものなのか分かりません。最初から諦めてはいけないことももちろんあります。
目を合わせられるようになった人もいるでしょう。治す方法もネットで探すとたくさん出てきます。
でも、私はいまだ治っていません。
なので、相手は魔法使いなのだと思うことにしました。
相手が私の目からどんな情報を得ているか分かりません、それはまるで魔法のように、理解の範疇を超えているものです。だからもう諦めちゃう。
「あら、魔法を使ってらっしゃるのね、あなたスゴイわ」と自分が持ち合わせていない能力であることを認めてしまうのです。
「あなた足が速いのね」「政治に詳しいのね」「プログラミングができるのね」などと思っても相手に対して恐怖感も劣等感も感じないですよね?ただの個性だからです。
それと同じ土俵に「目が見れるのね」を持っていくのです。
そうすると、目を合わせることへの恐怖感が減少し、相手の視線を受け入れることができます。「ハイハイ、魔法ね、知ってるよ、すごいねー」と。
もちろん毎回上手くはいきません。
でも、成功体験を積み重ねることは大事なのです。
成功体験をすると脳が快楽を感じます。もっと快楽が欲しくなり次の挑戦につながります。どうせできない、努力するだけムダだ、と思っていると出来るはずのことも出来ません。
それに、「私は相手の目を見ても何も読み取ることができない」と書きましたが、それは経験が圧倒的に乏しいからです。経験を積めば自分なりに読み取れることが増えていくと思います。だって、ドラマの登場人物の目は見れるし、そこに込められた怒りとか悲しみとかは読み取れてるから。
これは希望ですが、おばあちゃんになれば治るんじゃないかと少し思っています。怠けずに人格をコツコツ磨いていけば、おばあちゃんになる頃には劣等感もなくなって、見透かされても痛くもなんともなくなるのではないかと思っています。
成功体験についてはまた別記事にまとめます。
ここまでお読みいただきありがとうございました。