たいていの先生は、私のような大人しい優等生には無関心なのですが、たまに私を嫌う先生が現れます。
私は先生から目をつけられるような問題行動を能動的にはしていないという自信はありましたが、実際は自分の振る舞いに無頓着でした。
上の絵はかわいく描きすぎで、
本当は↓です。
つまらなそうに見えますよね・・・
- 頬杖をつく(つまらなそうに見える)
- 反応が薄い(聞いていないように見える)
- 挙手しない(やる気がないように見える)
- 発言しない(関わりたくなさそうに見える)
成績の良い生徒がこういう態度をとると、学校の授業をバカにしていると思われるのも不思議ではないのかもしれません。
頬杖をつく姿勢は楽だったのですが、それが失礼な態度だということを知りませんでした。私は振る舞いにおいて目立たない野生児でした。
私の反応が薄いのは、「塾で難しいことを習っているから学校の授業はつまらない」なんて思っているわけではなく、授業はテレビのように一方的に受信しているだけだからです。
納得したら頷くとか、理解できたときと理解できないときで表情を変えるとか、そんな無駄なアウトプットはしていませんでした。
また、挙手や発言をしないのは、注目を浴びるのが恐いし、人前で話せないからです。どんなに簡単な質問でも挙手できません。
柔道部の顧問をやるような、礼節が体に染み込んだ教師から見たら、私みたいなのは失礼極まりない悪意のある生徒に見えたのかもしれません。
塾には通っていましたが、田舎なのでレベルの低い塾でした。勉強できない子に合わせたような塾です。学年で1位2位を争っている私には勉強になりませんでした。
学校と家の往復だけでは息苦しく、外出する理由が欲しくて塾に通わせてもらっていました。移動時間だけが自分を解放できる自由時間でした。
私は活字中毒なのか、授業中に隙あらば教科書を先まで読み進めていたし、地図帳の都市名を覚える気もなく覚えてしまってたりしたので、習ってないことをすでに知っている感が出ていたかもしれません。
(・・・さっきから成績が良いとか優等生とか書いてますが、たぶん都会では普通レベルだと思いますよ・・・全国模試だと平凡だったので・・・)
振る舞いは野生児ながら大人しくて目立たないので注意されずに育ちます。大きくなるにつれ周囲から浮いていきなりへし折られます。
自分の行動に対して怒られるのではなく、「バカにしてるんだろ」「悪意があってやってるんだろ」「面倒なんだろ」という風に意図に対して怒られます。
普通の人が私と同じ行動をするのは悪意があるときなのでしょう。すみませんね、私は素でやってるんですよ。わざとやれるほど頭良くないんです!単純バカなんです!
アスペルガーの人の雑記にはよく、「わざとやっているんだろうと言われる」という苦しみが書かれています。同じ人がたくさんいるんだなー。
人の気持ちを考えるというのも、一歩間違うと迷惑なものですね。
勝手に想像して決めつけて怒ってくるので。どれだけ自分の想像力に自信があるのでしょうね。
先生は、想像上の「悪意のある私」に怒っていたのであって、「私」に怒っていたわけではなかったのです。理解できなくて当たり前です。
本当は、1対1で向かい合って話し合えれば良かったのでしょう。私のような大人しい優等生に本気で指導してくれる先生はなかなかいないので、良い関係になれたかもしれません。しかし、これは私にとって勇気のいる行動だし、さらに傷を負う可能性もあります。
担任の先生に「あの先生からこんなことを言われた」と相談してみてもよかったかもしれません。担任は私が普段から大人しくて人見知りだと分かっているので、誤解だと分かってくれたはずです。でもこれも勇気がいります。そもそも担任とはほとんど喋ったことがありません。
こんな時に一番良いのは、友人や家族など、絶対に自分の味方でいてくれる人に相談することです。絶対的安心感さえあれば、先生の一人や二人に嫌われてもある程度は耐えられるはずです。
もしも誰かに相談できていたら、もしかしたら、私の心をケアできていただけでなく、私の悪いところが改善できたかもしれません。でも残念ながら、私の辞書には「誰かに相談する」という文字は無かったんですよね。そんな選択肢があることを知りませんでした。
今回私は「姿勢・態度」が悪かったのではないかと思いましたが、本当はもっと別な理由だった可能性ももちろんあります。自分では気づけないので、第三者の意見は貴重なんですよね。
それと、大事なのは「この先生嫌い」という自分の気持ちをないがしろにしないことです。熱血漢教師や勘違い教師のことを嫌いな生徒はたくさんいます。そこに自分ひとり追加になったところで些細なことです。表に出す必要はありませんが、嫌いという気持ちは持っててもいいです。当時の私はこれができず、自分を責めることでこの状況に折り合いをつけていました。
人間はひとりひとり違うので、分かり合えなくて当たり前です。良いところも悪いところもあります。自分の長所が嫌われることもあるし、相手の何気ない一言で傷つくこともあります。
当たり前のことをいちいち気にしないような強い心づくりができれば良いですね。