私にはできるはずがない、と思っていました。
目立つことが苦痛だったし、自分から人に話しかけて友達になるということができなかったからです。
結婚式、披露宴、まじ怖いです。
本人がやりたくてやってるならいいですよ。祝福はしてます。
ただ、自分がとなると無理ですね。
主人公でずっとスポットライトを当てられて注目されるのが無理だし、料理に文句つけられるし、選曲でセンスを出さないといけないし、手紙を読まなきゃいけないし、ドレスは綺麗だけど自分で着たいとは思わないし、結婚指輪は外国の習慣だし、かといって日本の習慣もおどろおどろしいし、謎のケーキ入刀とかあるし、火をつけて周らないといけないし、写真バシバシ撮られるし、マジ無理。
子供の頃から、バレンタインとかクリスマスのようなメディアに踊らされてお金使わされてる感を結婚に対して感じてました。
また、公園デビューも恐ろしい。すでに出来上がっている輪にどうにか入り込まねばならないし、その後も幼稚園のお迎えとかPTAとかママ友とか、ほんと無理。引きこもって育てたいけどそれじゃ子供が歪んでしまう。ということを子供の頃から考えて自分には無理だな、と思っていました。
私の見通しはいつも正しくて、思った通りの結果になることが多くて、ほらね、私の思った通りでしょ、と思っていました。
でも、私の見通しの中には、私が努力してできるようになるとか、成長してできるようになるとか、不確かな可能性は含まれていませんでした。
自分の目に見える範囲でしか判断できないお子ちゃまだったんだなあ。
自分が発展途上中だということを知らず、すでに完成されているつもりでいました。
自分のできる範囲で、そこそこ好きなことをまあまあ楽しんで過ごしていました。
自分のやりたいことに向かって道を切り開く、ということができませんでした。
まるで人生終わりかけの老人のような子供・・・
だってこわかったんだもん。
お先真っ暗で、自分を守るためにはその場で固まってるしかなかったんだもん。
本当は真っ暗ではなかったし、周りは崖ではなかったのにね。
かわいそうに。抱きしめてあげたい。
その後、結婚しました。
彼がいないと生きていけなかったし、同棲を続けるよりも結婚したほうが世間的に楽だったからです。
結婚式も披露宴もしませんでした。したくないと親に言ったらすんなり受け入れてもらえました。なんだ、分かってもらえるんだ。
彼も結婚願望がなかったし子供も欲しくない人だったのでちょうど良かったです。お互い母性本能・父性本能が溢れることがありますが、どちらかが子供役をやって思いっきり甘えることで解消できています。