発達障害は運動が苦手(発達性協調運動障害)と言われますが、私も例に漏れず苦手です。体の動かし方が分かりません。体育はずっと2か3でした。
運動が苦手でした。自分が今どう体を動かしているのか分かりませんでした。
でも、私の場合、指先を使う作業は得意なようです。
手芸や塗り絵、工作、楽器演奏は好きだし、たぶん同学年の中でも上手い方でした。技術・家庭・美術はずっと4か5でした。
どちらも体を動かすことなのに、この違いはなんだろうなと考えてみました。
私の場合、4つの理由が考えられます。
目で見えない体の動きに意識を向けることができない
手芸や塗り絵は手元の作業なので、目で見ることができます。それに対して、鉄棒やダンスなどは自分の動きを自分で見て確認することができません。
目で見られないと、自分が何をしているのか分からないまま、ただがむしゃらに間違った動きを繰り返すだけになります。自分の悪いところやみんなとの違いが分かりません。
やってるうちにコツをつかむ、なんてことは起こりません。
体の動きが脳にフィードバック(結果を見直して次に生かす)されないのだと思います。出力しっぱなしで反省できません。
空気が読めない
団体の球技が一番苦手です。苦手というか理解不能。
何が面白いのかよく分かりませんでした。
チームの勝利に貢献するという考え方ができないし、敵や味方の思惑も分かりません。勝利までの道すじを状況に応じて随時更新するということもできません。
映画の中に迷い込んでしまったかのように、私1人だけあまりにも「個」でした。
サッカーでもバスケでも、ボールが自分のところに来てしまうとどう行動すれば良いのか分かりませんでした。頭が真っ白になって何も考えられず、攻めもせず、パスをくれた相手にボールを戻すという意味のない行動。
たぶんワーキングメモリがフリーズして、周りや戦況を見る余裕がなくなっていたのだと思います。あとは主体性が無さすぎです。自分で進んで行動する?何それ?って感じでした。
集団の中の歯車である自分がどう動けばいいか、大人になってしばらくしてようやく分かりました。子供の頃は何も分析できず、ただボーっと自分の無能ぶりを噛み締めているだけでした。
球技の中でも、卓球やバドミントンといった個人競技は比較的得意でした。
理屈が分かるまで体が動かない
車の教習所では、学者よりもヤンキーのほうが、初期段階の飲み込みが早いそうです。
やってるうちに体が覚える派と、先に理屈で納得してから体を動かす派があるとすれば、私は後者です。理屈を自分で納得しないと体が動きません。
私はスポーツテストで「級外」となるくらいボールを投げるのが下手でした。大人になって夫のキャッチボールに付き合ってもやっぱり下手。でも、夫から「手首のスナップ」を教わったら上手く投げられるようになりました。
子どもの頃からスナップという言葉は知っていたし、スナップを使えとも言われていました。でも、具体的にどうやったらいいのか分かりませんでした。
たぶん、世の中のほとんどが「やってるうちに分かる、慣れてくる、上達する」人向けにできています。体育もそう、バイトも仕事もそう。(大企業ならマニュアルがありそうですが)
だから、みんながやらない努力を私はしています。事前に調べる、習ったことを復習して頭に叩き込むなど。こっそりと。みんなと同じやり方ではたぶん一生追いつけません。頭で納得しさえすれば、他の人よりスムーズにできることもあります。
一人で向き合う時間が必要
他人さえいなければ作業に夢中になれます。
手芸も、塗り絵も、工作も、楽器も、一人の世界にこもってできることでした。
一人で集中して、繰り返して、改善点を見つけて、練習して、上達するということが自然にできました。作業が得意になるというだけでセンスの有無は別問題ですが。。
もしかしたら、ダンスもドリブルもレシーブも、一人で自分のペースで練習していたら、頭で納得しながら上達できたのかもしれません。
さいごに
私の場合、「発達性協調運動障害」というほどのものではないと思います。
体育の時間は、失敗体験の連続で辛かった(というかもう感じないように心を遮断していた)のですが、大人になったら運動がけっこう楽しいです。
ウォーキングやジョギングはお金がかからないし、水泳もたまに行くし、ボウリングも下手だけど楽しめるし、スポッチャで色んなスポーツに手を出してみるし、スポーツかどうか微妙ですがビリヤードも好きです。
大人になると体を動かす機会が減りますが、年をとるとみんな足腰が弱くなるし、防犯のためにも体が動けていたほうが良いです。お散歩&たまに走ってみて自分の限界を知っておくことをおすすめします。