強いストレスを受けたときに、身体から意識が抜け出したことがあります。
離人感という状態ですが、これは生物の正常な自己防衛機能だそうです。
気付いたら自分の後ろ斜め上から見下ろしてました。
この時、意識はあるのですが、感情はありませんでした。感情はたぶん意識から見えないところで金庫の中に大事に守られて眠ってました。
フワフワして夢の中にいるようで、何も考えなくていいんだよと言われている気がしました。
その状態のまま嫌な任務を完了。
夏休みだったのでゴロゴロしていたら、いつの間にか正常な状態に戻っていました。
解離とは
解離(かいり、英語: Dissociation)とは、無意識的防衛機制の一つであり、ある一連の心理的もしくは行動的過程を、個人のそれ以外の精神活動から隔離してしまう事である。抽象的に表現するならば、感覚、知覚、記憶、思考、意図といった個々の体験の要素が「私の体験」「私の人生」として通常は統合されているはずのもののほつれ、統合性の喪失ということになる。
つまり、「感覚」や「記憶」などの何かしらの要素が抜け落ちてしまう現象です。
私の場合「体の感覚」と「感情」が抜け落ちてしまったようです。
解離は人間が持つ防衛機制であり障害ではありません。
- 何かに夢中になっていて周りの人の声が聞こえない。
- スポーツ選手の「ゾーン」状態。
- 車を運転している時の動作一つ一つを思い出せない。
- 鍵をかけたかどうか思い出せない。実際はスムーズにかけていた。
- 緊張で頭が真っ白になる。
これらは正常な範囲の解離です。何かに集中したり強い刺激を受けた時に、他の感覚や記憶機能をシャットダウンしている状態です。自分でコントロールできるものではなく、また、良い結果を目指すものでもありません。
私のように一時的なストレスに心が耐えられず体外離脱してしまうものも、不幸ではありますが、自己防衛による正常な解離です。
この機能があるから、転んだ瞬間痛く感じなかったり、痛すぎる時に気を失うことができるのです。
解離が障害となるのは、慢性化した時です。
障害となるのは次のような段階である。 空想と解離は、慢性的なストレス状況におかれた子供にとっては唯一の実行可能な逃避行であるが、 状況が慢性的であるがゆえにその状態が恒常化し、コントロール(自己統制権)を失って別の形の苦痛を生じたり、社会生活上の支障まできたす。これが解離性障害である。
例えば、この時の私のように現実感がなく感情が金庫にしまわれた状態がずーっと続いている人がいます。これを離人症といいます。
また、ストレスを受けた時の記憶、または全ての記憶を失くしてしまう人がいます。これを解離性健忘といいます。
切り離した感情や記憶が別の人格を形成することがあります。これを解離性同一性障害といいます。
私が足元がフワフワしていると感じたのは、脳が「このくらい足を動かせばこのくらい移動するだろう」と想定した情報と、視覚から受け取った「実際このくらい移動した」の情報が食い違っていたからです。
脳は常に想定と結果を照らし合わせて検証しています。この時は体の感覚がおかしかったので、視覚からの位置情報が正しくなかったと思われます。検証の結果、道路がグニャグニャで頭が斜め後ろにあると脳が判断したようです。
アスペルガーと解離
ASDには過集中という特性があります。何かに没頭して周囲の世界と切り離されてしまうという特性は、解離に結びつきやすいです。
また、周囲の人とコミュニケーションがとれなかったり理解してもらえないストレスが大きいです。未熟な精神ではストレスを受けとめることができず、解離することでしか対処できない場合があります。
私は緊張するとたまにあっちの世界に行ってしまいます。もちろん意図的ではなく。
あまり緊張せずに冷静にどっしり構えることができた、と本人は思っているのです。実際は思考力がなく自分を客観的に見られていません。
自覚することも不可能ではないと思いますが、目の前のことに対処するだけで精一杯で、自分を分析する余裕がありませんでした。
何かが突然変更になった時も、すぐに解離してしまうくせがあります。変更に弱いアスペルガーにはキレて暴れる人もいるようですが、私は解離してやりすごすタイプです。
こうやってたびたび解離することで人生を乗り切ってきましたが、派手に切り替わるわけではないので本人も他人も気付かないんですよね。
防衛しすぎてもだめ
解離は人間がもともと持つ防衛機制なので悪いものではないのですが、防衛しすぎるとストレス耐性が成長しません。解離になっている間は時間が止まっているんです。私なんだけど私じゃない、本体がいない状態です。せっかくのトラブルやピンチの機会を、乗り越える工夫をすることもなく、安全な金庫にしまわれていては、精神が未熟な子供のまま成長しません。
私の場合、夫という信頼できる人ができ安心感を得ました。その安心感と長年積み重ねた経験・知識により、世間とまともに対峙できるようになり、解離する機会が減ってきました。解離しなくてもストレスと向き合えるようになってきたのです。
しかし、それでもまだ社会で生きるには未熟だったようです。あるとき解離のない丸腰の状態で抱えきれない大きなストレスを受け、自律神経失調症になってしまいました。今まで、生きにくいながらも体の症状がほとんど出なかったのは、解離のおかげだったようです。
汗をたくさんかくし、夜も中途覚醒してしまいますが、これも成長の証だと思っています。未熟なままよりずっといい。どうせもうすぐ更年期で同じ症状を味わうわけですし。
上の記事に関連して。
外的刺激を遮断して内的刺激が増えるのが「思考促迫」なら、内的刺激を遮断して外的刺激が増えるのが「離人感」かと推察しましたが、違うみたいです。
「離人感」は外的刺激が増えるわけではないんですね。むしろ景色が色あせて見えるなど、刺激が弱くなる人が多いようです。
私の場合、感じたことのないこの感覚に好奇心を持ってしまい全身でこの感覚を楽しんだので、外的刺激が増えたと感じたのかもしれません。
また、緊張や恐怖を感じないので周りをよく見る余裕ができ、外的刺激が増えたと感じました。せっかく見えても相手の心を分析する能力がないのが惜しい。