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言葉の意味まとめ(自尊心・自己肯定感・自尊感情・自己効力感・自己有用感・自信)


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自尊心や自己肯定感、似たような言葉がたくさんあって違いが良く分かりませんよね。

なるべく簡単にまとめてみました。 

 

 

自尊心(self-esteem)

1960年代、ローゼンバーグという社会学者(※えーと、年号とか外国人名とか一応書いとくけど読み飛ばしていいよ・・・)を筆頭に "self-esteem" というものが研究されていました。これを1970年代に日本語に訳したのが「自尊心」です。*1


"self-esteem"=自尊心というのは、自分を尊重する心、自分を大切にする心のことです。

そこに他者との比較は含まれません。

自尊心が低いというのは、その人が自分自信に対して敬意を持っておらず、自分には何の価値もない、無力な、あるいは自分が人間として欠陥があると思っている状態です。

ローゼンバーグは、子どもの自尊心の源は一貫して「子どもへの親の関心」であるとしました。(今ならもう少し要因があるでしょう。心身障害や、社会全体の無関心化や、SNS社会など。)

自尊心を低くする親の対応として、無関心が大きく影響を与えるとされています。「叱る」よりも「無関心」の方が大きいそうです。

自尊感情(self-esteem)

自尊感情=自尊心として扱っている方も多いようです。また、self-esteem の訳を自尊心ではなく自尊感情に統一しようとする動きも昔あったようです。

専門家でないのでよく分かりませんが、訳の好みの問題でしょうか。

素人の私には、なんとなく「自尊」に関しては不安定で瞬間的な「感情」ではなく、一貫した「心」のほうが納得できる気がします。

ローゼンバーグ自身も「自尊心」に感情は含まれないとしているという説も読みましたが、どうも「自尊感情」派のほうが多い印象。


なお「自尊」とは、

心理学では → self-esteem(自尊心・自尊感情)
一般的には → pride(プライド・自慢・得意・誇り・うぬぼれ・高慢・思い上がり)

良い意味も悪い意味もあるので、相手がどんなつもりでこの言葉を用いているのか分かりにくいんですよね。「自己肯定感」という言葉が新たに出てきたのも、「自尊心」の使い勝手の悪さが関係しているのではないかと私は勝手に思っています。

 

自己肯定感(self-esteem, self-affirmation)

自己肯定感も、 "self-esteem” の訳として使われることもあるようです。

しかし、「自己肯定感」という言葉が作られたのは "self-esteem” が「自尊心」と訳されたより20年も後ですので、別の意図がある言葉と思ったほうが良いのではないでしょうか。最近は "self-affirmation” とも呼ばれているようです。*2

高垣忠一郎氏(臨床心理学者)が1994年に提唱した言葉だという説もありますが、調べきれずよく分かりませんでした。wikipediaをそのまま信用するのもどうかと思うので論文を検索してみましたが、探しきれませんでした。

高垣氏ご本人は、「自己肯定感という概念は必ずしも明確に規定されておらず、その言葉を使用する諸家によって込められる意味やニュアンスに違いがある」と語られています。*3

色んなニュアンスがあるそうですが、ここでは高垣氏の説を引用しようと思います。たぶんこれが一般的に知られている内容だと思います。

自己肯定感とは、「自分が自分であって大丈夫」という感覚のことです。

高垣氏が臨床で様々な子どもたちと接する中で、次のような感覚の子がいました。

「私は人に合わせることしかできない。人に合わせなくても受け入れてもらえるというのは私にとっては推測でしかない。合わせないと拒否されて自分が無くなる恐怖の世界だ。何か批判されると自分が全部否定されているように感じてしまう」


これが、自己肯定感のない状態です。

この状態を自分で直そうとした時に、もっとも障害となるのが「自己否定の心」です。

学校に行けず、社会に出られない自分を責めてしまう。親や教師の期待に応えられず、「働かざるもの食うべからず」のような社会的規範にも応えられない自分に負い目を感じてしまう。

このような自己否定は、「自分にはこういうダメなところがある」という部分否定ではありません。丸ごとの自分を責める自己否定なのです。

このような自己否定にとらわれると、「ダメな自分」をますます人前に出せず孤立してしまいます。働けたとしても、上司からの部分否定を丸ごとの否定だと思って致命的に傷ついてしまいます。

「甘やかされて育ったから」「他人に否定されたことが無いから」ではありません。問題は、部分否定を丸ごとの否定だと感じてしまう感受性です。

このような感受性は、愛着障害や発達障害、虐待などによってもたらされるものですが、社会的システムにも問題があるといいます。

競争社会の中で、人間が機械のように性能によって評価されるようになってきました。そのシステムが家庭や地域や学校にまで侵食し、子どもが無条件で肯定されるという暖かい経験を十分にできなくなってきました。

このような子どもに対しては、「自分が自分であって大丈夫」という「安全基地」が築かれるよう援助することが大事といいます。安全基地なしの援助では、いっそう焦りや自己否定の心に追い込んでしまう可能性があります。

愛着障害、安全基地についてはこちら↓

www.asujinge.com

共感的自己肯定感というものがあります。
自分の意見を言って、それに共感してもらう。そうすると、自己のかけがえのなさに気付きます。道徳的なコミュニケーションは自己肯定感を高めます。


自己肯定感には段階があります。*4

  • 浅め:自分のいいところに目を向けることができる。
  • 深め:自分のダメなところも自分の個性や持ち味としてとらえることができる。
  • 深い:自分のいいところも悪いところも善悪という点から離れて、ただそのまま、あるがままに認めることができる。

浅いところから目指してみましょう!


なお、アドラー(1870-1937)の言う「自己肯定」はまた別の定義ですのでお気をつけください。

  • 自己肯定=自分の短所を見ない振りして自分スゴイと思うこと。
  • 自己受容=あるがままの自分を長所も短所も受け入れること。

アドラーの言う自己受容(self-acceptance)のほうが今でいう自己肯定感と同じ意味のようです。


日本人の子どもの自己評価が諸外国に比べて低い、という研究結果が出たことから、日本の教育現場において自己肯定感が注目され始めたそうです。

欧米は「個」がはっきりしており、自分に足りないものを外から取り入れて個性を作っていくという文化です。

いっぽう日本の場合、すべては森羅万象に溶け込んでいるという教えがありました(華厳経)。「個」を探し求めても結局は無と一体になってしまいます(十牛図)。

日本人の自己評価が低いのは、このような土台があるからではないかと思います。一神教である欧米の善悪のはっきりした文化と、全体の均衡がうまくとれることを重視する日本では、意識の違いがあって当たり前です。ただ、病的な自己評価の低さはなんとかしなければいけないと思います。


自信(self-confidence)

自信とは、自分の能力に対する肯定的な感情のことです。
自分全体ではなく、部分的な能力に対する評価です。

自己肯定感の低い人も、細かく見れば自信のある項目ををいくつも見つけることができるでしょう。

自己効力感(self-efficacy)

自己効力感は、カナダの心理学者バンデューラー氏が1977年に提唱した概念です。

自分はこの目標を達成することができる!」と感じることを自己効力感といいます。
目標とは、勉強やスポーツ、人間関係や行動などのことです。

自尊心や自己肯定感のように自分の全体に対する評価ではなく、ある一つの目標について自信があるかどうかです。

思い込みですので、実際にその能力があるかどうかは関係ありません。しかし、できそうだと思えばその目標に挑むことができるでしょう。目標が達成できたら成功体験となり、もっと高い目標に挑みやすくなります。

成功体験に恵まれなかった人は自己効力感が低く、「できそうだ」とはなかなか思えず及び腰になり負のスパイラルに陥ることがあります。

自己効力感は以下の4つの情報源に影響を受けます。

  1. 自分で実際にやってみて成功したり失敗したりすること(遂行行動の達成)
  2. 他人の成功や失敗を見て代理の経験をすること(代理的経験)
  3. 他人・自分から説得や暗示を受けること(言語的説得)
  4. 落ち着き、冷や汗、動悸など体調や精神状態。アルコールや薬による影響も含む(生理学的状態(情動喚起))

1の遂行行動の達成が最も重要な情報源です。また、一人で抱え込まず周りの人を参考にすることもヒントになります。

なお、自己効力感が高すぎるのも、無理な挑戦をしてしまい身に危険が及ぶ可能性があるので良くありません。

 

自己有用感

これは心理学用語ではないようです。論文がほとんど出てきませんでした。
文科省がいじめ防止や不登校防止のために推している概念のようです。*5

自己有用感とは、「自分がしたことが人の役に立った、人から感謝された、人から認められた、嬉しかった、だから期待に応えられるよう頑張る」という感情のことです。

自尊心や自己肯定感とは違い、相手の存在が必須です。

子どもの自尊心を高めたい、しかし、日本の学校は規範意識(社会性)と切り離せない。他者の存在を前提としない自尊心を高めても、社会性に結びつくとは限らない。そこで、人の役に立つ経験をさせて自己有用感を高めることで社会性も身に付けさせよう、という施策のようです。

例えば、他人を平気で傷つけたり、ルールを守らなかったり、集団行動ができなかったり、そんな社会性(人との関わり)が希薄な子どもに、異学年交流で年少者の世話をさせます。そうして自己有用感を高めさせると、社会性が成長し集団活動に積極的に参加できるようになり、最終目的である自尊心を高めることができるということです。



確かに、他者から認められることで一歩ずつ自信をつけていけそうな気はします。社会性が身についていないだけの普通の感性を持っている子なら上手くいくかもしれません。

しかし、自己肯定感の低い子だとどうでしょうか。自分が自分であって大丈夫という感覚が持てないまま、条件付きの肯定を自分自身で認めてしまうことになり、安全基地がなくなってしまいませんか?「褒められ続けなければいけない」「感謝され続けなければいけない」「認められ続けなければいけない」と追い込まれてしまい、それができない自分はダメ人間だ、と自己否定に陥りそうで怖いのですが。考えすぎでしょうか。



※この記事は、↓の記事を書いている時に疑問に思ったことを一度ちゃんと調べようと思って書きました。よかったらこちらもどうぞ。

www.asujinge.com

 

*1:白鷗大学教育学部 仁平義明 2015 「自尊感情」ではなく「自尊心」が“Self-esteem” の訳として適切な理由ーMorris Rosenberg が自尊心研究で言いたかったことーhttps://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20190222091606.pdf?id=ART0010532406

*2:子どもの自尊感情・自己肯定感等についての定義及び尺度に関する文献検討 : 肢体不自由児を対象とした予備的調査も含めて 田島賢侍 奥住秀之https://core.ac.uk/download/pdf/15925642.pdf

*3:〔退職記念最終講義〕私の心理臨床実践と「自己肯定感」 高垣 忠一郎 http://www.ritsumei.ac.jp/ss/sansharonshu/assets/file/2009/45-1_03-02.pdf

*4:コミュニケーション行為による自己肯定感向上に関する研究―キャリア教育の視点からみた道徳授業実践を通じて―作田 澄泰 中山 芳一http://ousar.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/4/48189/20160528093109793987/cted_002_014_023.pdf.pdf

*5:生徒指導リーフ 「自尊感情」?それとも、「自己有用感」 ?https://www.nier.go.jp/shido/leaf/leaf18.pdf