愛着障害を治そうとして他人からの愛を求めて生きるのは、なんだか不健康だと感じます。
自分にできることは、ありのままの不器用な自分を「そのままでいいんだよ、色んない人がいていいじゃないか」と認めてあげることではないでしょうか。
今回は、愛着障害について簡単にご説明します。
愛着とは
愛着とは、幼児期までに形成される情緒的な結びつきのことらしいです。
赤ちゃんは、保護者から愛情あふれる世話をされることにより、「この世界は何があっても守ってくれる人がいる安全な世界だ」「自分は愛されるに値する存在だ」と認識します。
その認識のおかげで、外の世界にも怖がらずに踏み出し探索することができます。何があっても家に帰れば温かく迎えてくれるという安心感があるからです。
これを「基本的安心感」といい、保護者や家を「安全基地」といいます。
生物学的には、赤ちゃんが「他人に対し自分を守るよう仕向ける」戦略といえます。
赤ちゃんは生まれながらにして、泣く、微笑む、目で追う、後を追う、抱きつく、などの愛らしい行動(愛着行動)で保護者の気を惹きます。大人の人間は、そのような赤ちゃんを見ると可愛がりたい、世話をしたいという欲求が生じます。赤ちゃんは愛情あふれる世話をしてもらうことで、安心感を獲得することができます。
こうしたスキルは年を追うごとに複雑化し、将来の人間関係の形成に大きく影響を及ぼします。
愛着障害とは
愛着障害とは、虐待やネグレクトなどで基本的安心感を得ることができずに育ってしまった状態をいいます。
愛着障害の子供は、成長すると、
- 自己肯定感がない
- 人に頼る、甘えることができない
- 親密な関係が作れない
- 衝動的・破壊的行動をする
- 相手に合わせすぎる
- 拒否されることを過剰に恐れる
- 人との距離が近すぎる・遠すぎる
- 好かれるためになにをすべきか知らない
このようになる傾向が見られます。
発達障害と愛着障害
この傾向だけ見れば、発達障害の子供は愛着障害の子供とよく似ており区別がつきません。
発達障害の場合、周りの環境に関わらず「社会性の障害、コミュニケーションの障害、顔の識別の障害」などの生まれつきの障害により保護者の愛を感じることができず、基本的安心感を獲得できないのです。生まれつきの愛着障害といえます。
さらに、発達障害の子は、
- 大人しくて育てやすい → 親が手をかけなくなる
- 後追いなどのかわいらしい行動をしない → 親がかわいいと感じなくなる
- 集団行動などができない → 厳しくしつけされる
などのように、発達障害の特徴のせいでますます愛着障害が引き起こされることもあります。
(もちろん人によって違います)
見ててくれるから頑張れるって素敵。
私の場合
私にも、発達障害とも愛着障害ともとれるエピソードがあります。
- 大人しくて手のかからない子供だった。
- 一人遊びをずっとしていた。
- 母親はごはんを作ってくれる人という認識だった。
- 親と一緒にいると緊張する。
- スーパーでよくはぐれる。
- 抱きついたり甘えたりした記憶がない。
- 相手に自分の考えを伝えるということを知らない。
- 誰かに何かを相談するということを知らない。
- 外であったことを親に報告しない。
- 抱き合う、握手、手を繋ぐなどの接触が苦手。
基本的安心感がなくて周りが全部崖に思えて一歩も進めない。冒険できない。頑張れない。
私が生きづらさを自覚し、その正体を知ろうとしていた学生時代、まずはメジャーな「鬱病」ではないかと疑いました。しかし、鬱病は「結果」であり「正体」ではありませんでした。
抗鬱薬をもらいましたが効きませんでした。抗不安薬は少し効きました。薬でどうにかなるものではないと私自身思っていました。
次に、「アダルトチルドレン」を疑いました。当時「毒になる親」という本がベストセラーになっていたのです。
アダルトチルドレンの特徴に、私はとても共感を覚えました。これだ!と思いました。しかし、うちの親はアルコール依存症でもなくネグレクトとも言えません。
その後、HSPやら人格障害やらいろいろ目には止まりましたが、10年ほど前に発達障害の存在を知り、ああ、自分はアスペルガー症候群なのだなと思い、ここに落ち着きました。
そして今年愛着障害という言葉を知り、私がアダルトチルドレンに共感したのは間違いではなかったのだと思いました。アダルトチルドレンは愛着障害です。愛着障害は、親がアル中でなくとも、スマホに夢中になって子供を見ないというだけでも起こるのです。
私の母は古風で、自分の気持ちを押し殺しすぎるところがありました。
また、父は非常に無口でどんな人なのか人格が見えませんでした。
うちは分かりやすいネグレクトではありません。しかし、
「私:人の気持ちが分からない」
「親:自分の気持ちを表に出さない」
の2つの相乗効果で、私は自分の気持ちも他人の気持ちもよく知らないまま育ってしまいました。ただただ不安で、この世に自分一人しかいないような恐怖感を常に持っていました。孤独は心地よくもありましたが、楽しい、哀しいなどの感情を誰とも分け合えず、ストレスの解消方法も分からず、ただ黒いものが心に溜まっていくばかりでした。
発達障害なので生まれつき社会性がないのはもちろんのこと、育つ過程での情緒的な交わりの希薄さも、今の私に色濃く影を落としています。
と、過去のことばかり分析しても仕方がないのですが。
私は難しい子供だったろうし、親だって一人の個性ある人間だし、親のせいにする気は全然ありません。同じ親に育てられた兄弟は立派な大人に育ちました。やはりこれは私の問題なのです。
どうすればいいのか
これはもう、友人、パートナーや家族から大事にされる経験を積むことですよね。愛されていることをすでに知っていても、もっと、もっと、五感を研ぎ澄ませて脳みそをフル回転させてねっとりと味わうのです。
愛が分からないからといって自分から扉を閉めるのだけはやめてね。
あとは、自分で自分を大事にすることです。やっぱりここに行きついてしまいます。
これができれば、夫も友人も家族もいなくてもOK。
でも・・・冒頭でも書きましたが、本音を言うと無理して治さなくてもいいと思います。だってそういう脳みそだからしょうがないじゃん。
愛着障害のある自分を「弱いところもあるけど、そんな自分も結構悪くない」と思えればいい。
あとは、鬱などの対症療法でいいと思うな。
テレビで高田純次さんが仰ってました。
「孤独なのに楽しく生きちゃったら、悩みじゃなくなるよね」