↓前回の記事
心の理論と客観視、他人との距離感について - あすかの人生劇場
でまとめきれなかったASD改善方法をご紹介します。
結論から書きますと、
- 私が社会的ルールに縛られすぎていたことに気付き
- 不要なルールを身からはがしたら
- 本当の自分の気持ちを発見
- その自分をコントロールするもう一人の理性的な自分を意識するようになったら
- おかしな行動が減りました
という話です。
かなり個人的な方法なのであまり参考にならないかもしれませんが、一応webにたれ流しときますね。
私は「べき論」に支配された子供だった
本当は親や周りの大人の庇護があったのは分かっていますが、気持ち的には「一人で立って」いました。それは非常に孤独で不安な状態でした。これについては↓のページで説明しています。
不安を解消するため、私は「ルール」「規則」「教訓」「マナー」のような絶対的な正義にすがりついたようです。それらは、か弱い私を支える太い支柱となってくれました。
例えば小学校に上がるとき「これからはパパ・ママではなくお父さん・お母さんと呼ぶべきである」と思い計画的に呼び方を変えました。
また、小学生向け雑誌の「フランス料理のマナー特集」を見て、その知識が全くなかった自分が恥ずかしい存在のように思われ、急いでマナーを勉強しました。
自分は人とどこか違うという不安、なぜか自分だけが空気を読めていない不安、みんなが分かっていることを自分だけが分かっていない不安、その圧倒的な劣等感を埋めるために無意識にした行動だったと思います。
でもそんなに頑張った覚えがないのは、視覚情報を覚えやすい特性と合致したからだと思います。ハミガキ粉や洗剤の成分をなんの気なしに読んで覚えてしまう子供でした。
あらゆるルールを守っていた
一般的なルールから先生が放った一言まで、なんでも守っていました。
- 信号を無視してはいけない
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廊下を走ってはいけない
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トイレは2分以内に
- 嘘をついてはいけない
- わがままを言ってはいけない
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裏表があってはいけない
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人を悪く言ってはいけない、思ってもいけない
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敬語をつかわなければいけない
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失礼なことを言ってはいけない
- 泣いてはいけない
- 怒ってはいけない
- 人を羨んではいけない
- 人をバカにしてはいけない
- 人の気持ちは誰にも分からない
- 石の上にも三年・・・嫌なことから逃げてはいけない
- 立つ鳥跡を濁さず・・・嫌なことを口に出してはいけない
などなど…
ちょっと解説します。
・トイレは2分以内に
小学生の時、先生が生徒のトイレの時間をストップウォッチで測っていたことがありました。今考えると「鏡を見たりお喋りしたりしてトイレでキャッキャするな」という指導だったと思うのですが、当時の私は物事の背景や理由を考えられず、とにかく2分超えるのが恐ろしかったです。
あれからずっと、トイレを急いでする癖がつきました。なので、便座に敷いたトイレットペーパーがパンツに挟まったまま歩いちゃったりするし、トイレが終わった後次の人のために見直すということもしたことがありませんでした。大人になってから恥をかきました・・・
・裏表があってはいけない
普段ふざけているクラスメイトが先生の前で真面目な生徒を演じることを、私は悪とみなしていました。そして人を悪く思ってはいけないというルールがあるので、私はその気持ちを殺しました。
・人の気持ちは誰にも分からない
テレビで学者さんがそう言っていて、私も共感しました。考えることを放棄しました。クラスメイトが「あの子の気持ちを考えるとこうしたほうが~」などと言った時、「どうせ人の気持ちなんて分からないのに無駄な努力をしているな」と思っていました。
ときには矛盾する教訓があります。「女は愛嬌」と「人に媚びてはいけない」など。
こういうものは何も考えず頭を真っ白にして受け入れました。どちらも正しいらしいので。自分の判断力はすでに失っていました。永久的にフリーズ。
私はこれらのルールを守っていましたが、他人に押し付けるようなことはしませんでした。みんなは私よりはるかに上にいるので、押し付けるなんて恐れ多いと思っていたからです。
みんなは私より失礼でワガママで遊んでばかりなのに、なぜ私ではなくみんなが正しいのか。私は真面目で窮屈な思いをしているのになぜみんなに追いつけないのか。不思議でした。
大人になってから気付いた
ルールには、そのルールを守らせたいターゲットがいます。私はターゲットではないから自然にしていればいいのに、なんでもかんでも自分を縛ってしまっていました。
ルールには背景や理由があります。それが分からないから、私は応用も効かずただ窮屈なのでした。
また、人の言葉は不完全です。子供の頃、力が弱かったため「車のドアは強く閉めなさい」と言われていました。大人になってもその教えを守っていたら、今度は「もっと弱く閉めなさい」と言われました。私は「強く・弱く」という言葉だけを気にしていましたが、求められていたのは「適度」でした。
身に付けてきたルールをはがしにかかった
この時の私は発達障害というものを知りませんでしたが、この行動は図らずもASDの特性を自覚し見つめ直す作業になっていました。
私が手当たり次第にルールを守ったり知識をつけたりすることは、ASDの白黒思考の特性をエスカレートさせていました。また、私が好んだルールは「裏表があってはいけない」や「人の気持ちは分からないものだ」などASDに都合のよいルールでした。
私は、ASDの自分が聞き心地の良い言葉に心酔し、ASDの特性を自分から強めていたところがありました。これを見つめ直すことは、ASDを治すとは言わないまでも、ASD的思考癖を直すことになったのです。
それからは、新しいルールに触れるたびに、なぜそうしなければいけないのか相手の意図を深読みし、背景も考えるようになりました。
余裕のない時は考えられません。それと、考えたからといって答えが出るとも限りません。でも、言葉の表面だけで終わらないのが大事です。
そういえば私は「なぜ?」と聞きたがる子供でした。本当はルールをそのまま鵜呑みにするような人間ではなかったのです。でも、大人に聞いても答えが返ってこず、聞くことをやめてしまっていたのでした。
ルールを見直した具体例
また、私の率直で空気の読めない発言は、「嘘をついてはいけない」「素直でなければいけない」というルールにのっとった、計算された率直さでした。本当に意図せず発言することもありますが、あえて率直に発言することもありました。これを言えば相手は傷つくかもしれないと、本当は少し気付いていることもありました。でも、ルールを優先しないといけないから、素直に発言するしかなかったんです。
・わがままを言ってはいけない
子供は、お菓子やおもちゃが欲しいとわがままを言うことで駆け引きを学ぶそうです。今日は親の機嫌がいいから買ってもらえそうだとか、300円のお菓子は無理そうだけど100円のならいけそうだとか。
このスキルを徐々に洗練させていくと大人の交渉術に成長します。
私の場合、このスキルをまったく育ててこなかったのでわがままも言えず交渉もできません。しかし、大事な人を守るために必要になるかもしれないので、今から少しずつでも身に付けたいと思います。
・裏表があってはいけない
裏表がないと生きていけません。社会性とは裏表のことだと思います。表の自分を育成しつつ、本当の自分を大事にしなければいけません。私は裏表があってはいけないと思い裏の自分を殺してしまったので遠回りしてしまいました。
なお、表の自分がしっかりしてくると、裏の自分を引っ張りあげてくれます。伸びしろができるんです。また、裏の自分が調子が良いと、表の自分がミラクルな実力を発揮してくれます。(心理学で○○って言うんだけど忘れてしまった・・・)
・人の悪口を言ってはいけない
悪口は言わないほうがいいですが、人を悪く思うのは当然のことです。悪く思った自分の感情を否定せずに認めてあげる。そして、なぜ嫌だと思ったのか分析して消化する。
そうすると、自分の気持ちを理解でき、それを元に他人の気持ちを慮る実力がついてきます。
・人の気持ちは分からないものだ
だからといって想像することをやめてはいけません。ある程度は想像で分かります。
次回に続きます。