甥は発達障害ではありません。
私が勝手に自分に置き換えて心の中で叫んでいるだけです・・・
奪い合えない理由
お菓子は好きですが、自分のペースで手に取りたいです。
早い者勝ちで奪い合うのは野蛮なことだと思っています。
奪い合いをしたあとは、味覚に集中できず美味しく感じない気がします。
でも空気を読んでいるわけではないので、先に取っちゃってズルイと言われることも多々あります。
自分なりに欲望に忠実なのです。
欲しいお菓子を手に入れたいという欲望よりも、争いをしたくない欲望のほうが強いです。
どうして怒られるのか分からない
小さい頃、たくさん「ダメ」と言われました。
どんな行為に対して「ダメ」と言われたのかは分かります。でも、その行為が「ダメ」な理由が分かりません。「どうしてダメなの?」と聞いても大人はなぜか理由を教えてくれません。「そういうものなの!」と押し切られたり、子ども騙しの適当な理由であしらわれたりします。
私の求める理由は、大人の考える理由とは別物なのでしょうか。
そのうち、聞いても無駄なのだとあきらめるようになりました。
分からないから心を捨てて言いなりになった
怒る理由は分からないけれど、絶対に私が悪いのだという空気は感じます。なので、自分の心にフタをして、何も質問せずひたすら言うことを聞きました。
それを繰り返していたら、いつの間にか「分からないことを質問する」という概念が私の辞書から消えてしまったのです。
自分は駄目な人間で、他人はみんな完璧。相手は過不足なく完璧に説明してくれているはず。分かってない自分が悪い。納得できなくても、とにかく言われた通りにやればいいのだと。
発達障害者は質問ができないと言われますが、先天的な特徴だけではなく、後天的に身に付いてしまった思考の癖もあるのだと思います。その癖のせいで人格がどんどん偏っていくのです。
親や周りの大人のことを悪くいう気は全然ありません。正解は「聞いても教えてくれないなら自分で考えろ!」です。考えることをやめた私が間違っていたのです。
ただ当時の私は、「私は納得のいく解答をする大人になろう」と幼心に決意したのでした。
...この抑圧された本心は、のちに反乱を起こすことになります。
お菓子を奪い合えない子どもはどうなるか
お菓子どころではなくすべての競争が苦痛な私は、成績はよかったものの学力で競い合うのはもうこりごりだと、勉強から離れた大学に行きました。そうしたら、勉強以外の新たな競争が増えました。また、無難に就職できるような学部ではなかったため、将来の仕事の選択肢が狭くなりました。
ここぞという大事な場面で、大事な権利を他の人に譲ってしまう大人になりました。本当は譲りたくないけれど、戦い方が分からないのです。
こういう人間は、普段の生活で損をするだけではなく、もしもの時に生き残れません。
もしも災害が起こったら、事故に巻き込まれたら、北斗の拳の世界に飛んでしまったら、ゾンビがはびこる世界になってしまったら、私のような者は真っ先にやられてしまいます。
こういうことでしょ?お母さん。
私の将来のためだったんでしょ?
そう思い至ったのは、冒頭の甥のお菓子の件を聞いた瞬間でした。自分が甥ができる歳になって初めて。遅っ!
子どもの頃からアイデンティティが拡散していたので、自分の今の行いが未来につながっているなんて知らなかったのです。
就活中など一時的にアイデンティティ拡散するのは普通の人にもあることです。発達障害、特にアスペルガーの人はその特性から拡散しやすいようです。
これについてはいつか一つの記事にしたいのですが。
今は自分が生き残れないほうの人間だと悟り、少しずつ知恵を付け、強くなる努力をしています。でもこんな苦労をする人間は少ないほうがいいです。こういう子供が減りますように。
勉強をするのは競争のためじゃなく自分のためだって教えて欲しかったな。優等生には誰も何も教えないんだよな。
決意2については↓の記事へ