「もっと自分を出してよ」と言われて素直にアスペな自分を出すと、案の定引かれたり嫌われたりします。言いなりになってはいけません。自分の感覚を信じて。
そもそも「もっと自分を出して」なんて、相手を対等に扱っている人の言葉ではありません。今現在のその人のやり方を否定することになりますから。
仲良くなりたいという意思表示なのかもしれませんが、対象は限定されるでしょう。
「(もしもあなたが普通の人なら)もっと自分を出して(我慢しないで共感しあおうよ)」ってこと。
アスペの会話の特徴
ASD と健常者はそもそも基準が違います。
- 言っていいことと悪いことの判断がつかない
- 思ったことを推敲しないまま言葉に出す
- 自分中心、欲望に忠実
- 何も感じないことがある(アレキシサイミア)
こんな人が「素の自分のまま」で友達と上手くやるなんてあり得ません。
「自分を出してほしい」とはいっても、ディベートしたいと言っているわけではないのに、アスペはどうしても尖ったナイフ的な一言を発してしまうんですよね。
- 言いたいことはあるけど言った場合どうなるか熟考した結果言えない
- 本当は反対したいけど相手に合わせて賛成してしまう
- 気を遣いすぎる
- 空気を読みすぎる
こんな人になら、「そんなことであなたを嫌ったりしないよ、もっと自分を出してもいいんだよ」と言ってあげたい気持ちは分かります。
それが本来の「もっと自分を出して」です。
100%の自分を出しちゃうよね
アスペルガーは、「自分を出して」と言われたら100%の自分を出してしまいます。
何事も中庸が肝心といいますが、ここまでなら露出してもいいというポイント(しかもその場によって違う)がアスペには分からないのです。
「ブレないね」と言われたことがあります。言った人は悪い意味で言ったのかもしれませんが、私は褒められたと取りました。
アスペはブレません。定型発達者はブレます。
ブレるとはその時にちょうど良い中庸を選択できるということ。でも、アスペにしか見えない極端な景色もそれはそれとして存在を認めてあげてもいいじゃないか。
あえて自分を出さない
アスペルガーの私は、相当気を遣って人と接しています。
「自分を出せない」のではなく「あえて自分を出さない」んです。そういう選択肢を自分で選ぶということが大事です。「出せない」と「出さない」は違います。
気を遣って話せるのは私の努力のたまものです。誇りに思っていいです。
もしも今「もっと自分を出してよー」と言われたら、「あなたの話を聞いてるだけで楽しいの。隠してるわけじゃないの、そのうちね」と言います。
大人になると誰も自分を出さない
というか、「もっと自分を出して」と言われたのも、「自分を出せない、出さなければいけない」と悩んだのも、若い時だけでしたよ。
なんでだろう、みんな暇だったのかな?
大人になると、誰も自分なんて出しません。
みんな腹に一物もってて怖い怖い。
でもそうやって人間関係をざわつかせないことで、仕事に集中できているし、ご近所付き合いができているのです。
人間関係で仕事を辞めたり(辞めさせたり)、引っ越したり(引っ越させたり)、退学したり(退学させたり)しないためです。自分のためでもあり、相手の、全員のためでもあります。
自分の気持ちを殺すのとは違います。
自分の思ったことは信用できる人にだけ話します。
言えるような人がいなくても、今はネットで別人になれる時代なので、どんどんガス抜きしていいと思います。分かってくれる人はきっといます。
ちょっと自分を出すのならこんな方法で
ちょっと自分を出すのであれば、こんな方法はいかがでしょうか。
- 肯定的なことは他人とかぶってもいいから口にだす
(例:「いいねー」「賛成」「行こう!」)
- 自分なりの表現をプラスする
(例:「かわいい」→「優しい色合いでかわいい」)
- 分からないことは分からないと言う
- 失敗談を話す