子供の頃の「悪口を言ってはいけません」という教えを守り続けていましたが、最近やっとその呪縛が解けてきました。悪口だと思っていた中に、悪いものと良いものがあることが分かりました。
全部悪口だと思っていた
人が人を悪く言っているのは全部悪口だと思っていました。
「悪口を言ってはいけません」と子供の頃に教わったのに、なんでみんな悪口を言うんだろう。聞くのが苦痛でした。
でも、夫の仕事の愚痴を聞くうちに、愚痴というのは、嫌なことがあってもそれでも明日を生きていくための気持ちの整理なのだと分かりました。
私は嫌なことがあったとき、自分の気持ちを殺すことで乗り越えていました。しかし、これは良くない乗り越え方でした。普通ではありませんでした。
自分の気持ちを保ったまま明日からも生きていくには、愚痴が必要なのですね。
愚痴って何
愚痴と悪口っていろんな定義があるみたいですね。時代によっても変わってきているのかもしれません。私なりの愚痴と悪口の定義は下の通りです。
私が悪口だと思っていたものの何割かは、愚痴(明日を生きるための前向きな助け合い)だったのかもしれません。
社会には、善いも悪いも、正しいも正しくないも、様々な価値観が入り混じっています。
そんな多様な社会には、矛盾や理不尽が当然のように存在します。それで当たり前。みんなそのことを分かっているので、わざわざ声を上げたり立ち向かったりしません。
嫌なことがあっても、クラスメイトと喧嘩したいわけではないし、会社に歯向かいたいわけでもありません。
ぶつかりたいわけじゃない、そういう時に心を整える方法が、愚痴なのだと思います。
ASDで素直で表裏のない私が「愚痴」を分からないのも無理もなかったんですね。
他人の愚痴を聞くと、その人がどう物を考えているのか理解できます。他人が何を考えているのか分かると、自分が行動するときの参考になります。
この人はこういうことに敏感なのか。じゃあ、こないだ私がアレをしたときに、この人は態度には出さなかったけど実は嫌だったのかもしれないな。
この人はこういうことで怒るのか。私もこの手のことをしちゃって怒られないように気を付けよう。
など、トラブルを避ける行動ができるようになってきます。
また、相手の信頼を得ることができます。
私は子どものころ、友人の口から悪口や愚痴をほとんど聞いたことがありませんでした。友人に恵まれたからだと思っていたのですが、それもあるのでしょうが、違う理由もあったと思います。
私には相談や愚痴を聞く器がない、と判断されていたのかもしれません。
実際相談を受けたとしてもこう思ったに違いありません。「そんな答えの分かりきってることで悩んでいるのか?なぜ行動しない?文句ばかり言ってないで早く解決させればいいのに」
今では、何人かは私に愚痴を言ってくれます。すっきりして帰っていきます。
数は少ないですが、役に立てた気がしてとても嬉しいです。
正しい愚痴の聞き方
愚痴を聞くときに心がけている方法をご紹介します。
とにかく、相手を優先して聞き役に徹してください。
① 解決策は聞かれないかぎり言わない
相談してくる人は、答えが分かっていないわけではありません。答えは自分の中にある、もしくはどうにもならない、変えられない、耐えるしかないものです。
欲しいのは共感とやすらぎです。
②口を挟まない
相手の話を口を挟まずに聞くことは、ありのままの相手を肯定するという大事な行為です。適度な相槌で相手の話を引き出して、思う存分語らせてあげてください。
余計な言葉はいりません。
③相手の言葉を変換してオウム返しする
例えば相手が「仕事をたくさん頼まれて辛かった」と言ったら、「それはキツイね」と返しましょう。
例えば相手が「上司に○○と言われてムカついた」と言ったら、「あー、それはひどいね」と返しましょう。
これはすごく効果があります。
同じ意味のことをいうだけで、相手の顔が晴れやかになっていきます。
共感するだけで十分癒されるのです。
同情は不要です。同じ気持ちになりきる必要はありません。
共感して、気持ちを理解してもらうだけで十分なのです。
こうやって、例えば夫の愚痴を聞いて、翌朝夫が機嫌よく仕事に出かけると、やったぜ!と思います。
愚痴を聞くようになってから、自分の成長速度が上がった気がします。他人の考え方のサンプルが増えてきたからかな。
自分が聞き上手になるほど、自分も愚痴を言えるようになってきている気がします。愚痴を言えない理由は、相手に「甘いこと言うな、悪いのはお前だ」と言われそうで怖いからです。自分が愚痴を親身に聞くことにより、愚痴を聞いてくれる人の親身さを信用できるようになってきている気がします。