注:「鬱の人に頑張れと言ってはいけない」という内容の記事ではありません。
単純に「頑張る」「気を付ける」という言葉が抽象的で理解できず、具体的にどうすればいいの?と子供のころから疑問に思っていました。
「頑張れ」って便利な言葉で、これさえ言っておけば応援していることになるという魔法のワードですよね。
「いっしょうけんめいがんばりました!」もものすごく便利。子供の語彙力で最上級のアピールです。
でも自分が「頑張って!」と言われると、とたんにどうしたらいいか分からなくなってしまいます。えー?具体的にどうすればいいの?って。
とりあえず「ふんっ!」とやれば頑張ってることになるのかな、と。
頑張るって、とにかく力を入れるイメージでした。頭わりぃ。
「気を付ける」も同様に漠然としていてよく分からない言葉でした。
「気を付けて学校に行きなさい」と言われた場合、とにかく目にグッと力を入れて、あらゆるものを視界に入れるようにしていました。たぶん「周りをよく見て」とアドバイスされたことがあったのだと思います。
よくあるアスペの例で、「お風呂のお湯を見てきて」と言われてお湯が溢れてても止めない。見てきてと言われただけだから。というのがありますがそれと同じです。言外の意味が分からずただ見てるだけ。
周りをよく見ると、きれいな朝露とか飛んでいるトンボに目を奪われ、結局フラフラと好きなものに注意を向けてしまい、「気を付ける」とは逆の行動になってしまうのでした。
アイデンティティ拡散
「頑張って」「気を付けて」のような漠然とした”命令”が理解できないのは、自分がないから(アイデンティティーが拡散しているから)ではないかと思います。
アイデンティティー拡散とは↓
私が自分なりに考えて行動すると、いつも引かれたり怒られたりします。アスペルガーなので普通の人と価値観がずれているからです。(本当は自分で行動して褒められたこともあったはずなのですが、理不尽に拒否された時のほうが印象が強く残ります。)
だから、怒られないように、とにかく人の言う通りにしようとします。
「頑張れ」とか「気を付けて」とかの曖昧な指示だと、具体的にどうしたらその人に満足してもらえるか分からず固まってしまいます。
結局、「力まないで」「いつも通りやればいい」というゆるーいけれど具体的な追加指示を真に受けて、ほんとにいつも通りボーっとやってしまいます。
どうすればいい?
今なら、
- 自分の頭と体をフルに使って、
- 自分の過去のデータと比較して、
- 自分なりに考えて工夫して、
- その中で最善の策を常に考えながら前に進む
- 間違っても次に生かす(トライアンドエラー)
これが「頑張る」ということだと分かります。(「気を付ける」もほぼ同じか。)
今の私は、1人で落ち着いてやれば「頑張る」ことができます。少し成長しました。
落ち着いていない場合どうなるかというと、
- 自分の知識
- 一瞬のひらめき
だけで対処しようとします。
子供の頃なら問題も簡単だしこれだけでも対処できるのですが、大人の複雑な問題をこのスタンスでは解けません。熟慮して考え抜く人の足元にも及びません。二次障害として、バカにされて鬱になったり社会不安や適応障害になってしまいます。
また、他人の目があると頑張れません。先ほどの絵のように、矢印が曲がってしまいます。いつでも他人主体で自分がありません。頑張るというのは、自分が主体にならないとできないと思います。私はアイデンティティが拡散しているのでこれができません。
アスペの過集中と頑張りを発揮できるのは、「こうしたい!」というワガママを言える場面だけ、つまり、一人っきりの時だけなので外ではなかなか発揮できないのです。(私の場合)
でもね、自覚してる時点で惜しいところまで来てると思うんですよ!
このブログは頑張れているほうです。
夫には内容は伝えていませんが、ブログをやっていることだけは伝えています。一応、「夫が見守ってくれているから頑張れる」の経験を積んでいるつもり。